かつて、1960年代でしょうか、国語学において日本語アクセントの研究が大変盛んになった時期がありました。平山輝夫、金田一晴彦、和田実、柴田武、杉藤美代子、上野善道、川上蓁といった錚々たる面面が多くの論文を発表しながら議論していました。
その中で、日本語のアクセントは段階観から方向観へと転換したことが明らかなのですが、奇妙なのは、国語辞典のアクセントに関する記載が現在においても平山輝夫氏による段階観の表だったりすることです。アクセントの記述が各語についてもある辞書は、角川の『新国語辞典』と三省堂の『明解国語辞典』が有名ですが、前者は段階観を用いています。
現在では、そもそもアクセントに関する関心自体が低くなってきているように思われます。
最近ちょっと職場の人に確認してみたところ、「白菜」のアクセントが多岐にわたっていて不思議でした。東京出身者であっても、既に60代辺りの人に、アクセントのばらつきが見られるのです。つまり、「は」がアクセント核である人、「く」の人、「さ」の人、「い」は無くて、そのままアクセント核のない人、がいました。アクセント核というのは、その次の拍が下がる拍のことを言います。
こんなに多岐にわたるのではアクセントの意味がないほどです。
果たして、日本語のアクセントは今後どのように変化していくのでしょうか。保守的な私は、意固地に古い形を用いるようにしているのですが・・・。