体験的音声学~言葉の音のことさまざま

言語の音声を中心に、いろいろ考えます

アクセント研究の行方

 かつて、1960年代でしょうか、国語学において日本語アクセントの研究が大変盛んになった時期がありました。平山輝夫、金田一晴彦、和田実、柴田武、杉藤美代子、上野善道、川上蓁といった錚々たる面面が多くの論文を発表しながら議論していました。

 

 その中で、日本語のアクセントは段階観から方向観へと転換したことが明らかなのですが、奇妙なのは、国語辞典のアクセントに関する記載が現在においても平山輝夫氏による段階観の表だったりすることです。アクセントの記述が各語についてもある辞書は、角川の『新国語辞典』と三省堂の『明解国語辞典』が有名ですが、前者は段階観を用いています。

 

 現在では、そもそもアクセントに関する関心自体が低くなってきているように思われます。

 

 最近ちょっと職場の人に確認してみたところ、「白菜」のアクセントが多岐にわたっていて不思議でした。東京出身者であっても、既に60代辺りの人に、アクセントのばらつきが見られるのです。つまり、「は」がアクセント核である人、「く」の人、「さ」の人、「い」は無くて、そのままアクセント核のない人、がいました。アクセント核というのは、その次の拍が下がる拍のことを言います。

 

 こんなに多岐にわたるのではアクセントの意味がないほどです。

 

 果たして、日本語のアクセントは今後どのように変化していくのでしょうか。保守的な私は、意固地に古い形を用いるようにしているのですが・・・。

外国語とは難しいもの

 英語について、「日本人の英語発音のおかしいところを外国人が指摘するもの」と「日本語の難しさを外国人が指摘するもの」をSNSなどでよく見かけます。

 

 これは完全に英語側から見た発想ですが、日本人も上記と同じ内容の指摘をよくしています。

 

 これは全く反対にしても面白いだろうと感じるのですが、いかがでしょうか。

 

 すなわち、日本人が、例えばLとRの使い分けやTHのような英語発音の難しさを、こんなのわからなくて当然だという態度で動画にするのです。

 

 外国語というものは、分かって当然なのでなく難しいものなのであるという認識を基にするのでなければ、謙虚に学ぶ態度も生まれないでしょう。

日本語のローマ字表記法に物申す

 日本語のローマ字表記法には、これまでさまざまなものが考えられてきました。

 

 古くはポルトガル人がキリスト教布教のために日本語を記録したものが残っています。ポルトガル語の表記法を基にしたものです。

 

 その後、アメリカ人のHepburnによるヘボン式、仮名遣いを基にした日本式、正式なものと国に認められた訓令式が現れました。

 

 ほとんど知られていませんが、言語学者服部四郎博士による、音韻論に基づいた新日本式というものも発表されています。

 

 今から30年ほど前まで、国語の教科書には、ローマ字表記法として、訓令式が載せられていました。現在でも、国語の教科書にそれはあるのですが、当時はまだ、日本語を仮名の代わりにローマ字で表記する日が想定されていたと思しいのに対し、今ではパソコンなどへのタイプ打ちの手段の一つとして取り上げられるようになっています。

 

 困るのは、実際には訓令式はほとんど用いられず、駅でも道路標識でも、使われていたのがヘボン式だったこと、そして、小学校で訓令式を覚えたのに、中学に入って英語を学ぶと、いきなりヘボン式になる事でした。

 

 このヘボン式とは、言い換えるなら英語式のことです。英語を母語とする人間が、日本語に近い音として読むことのできる綴り方を決めたものです。

 

 だから、本来なら日本語の音韻には適っていません。これは、動詞活用の表をローマ字で作ってみるとすぐに分かることです。語幹を規則的に抽出することがヘボン式ではできません。

 

 ところで、日本語にとって極めて重要な要素としてモーラ(拍)というものがあります。故郷と公共と皇居と国境が異なる単語なのは、このモーラによる区別です。

 

 札幌で、odorikoenという標識を見たことがあります。これは「踊り子園」としか読めないのですが、実のところ、「大通り公園」のことでした。

 

 不思議にも、どの日本語ローマ字表記法でも、長音をただ長い音節としか考えてこなかったようです。

 

 正式には、長音は、その母音の上にアクサンシルコンフレックス^、または横棒を置くことになっています。

 

 しかし、上記の例同様、ヘボン式ではそれさえもつけない場合が多くあります。Yokoが「ようこ」だったりします。

 

 長音記号のような特別な記号は、手書きでも分かりづらく、タイプでも、面倒なものです。かと言って、長短を表記しないのは日本語として言語道断です。

 

 やはりモーラを持つ言語としてフィンランド語があります。フィンランド語はローマ字表記の言語ですが、モーラをよく考慮したやり方をとっています。

 

 Amerikkalainen アメリッカライネン(アメリカ人)maailmassaa マーイルマッサー(世界で)のように、促音も長音も2文字重ねます。

 

 私は、日本語ローマ字表記においても、この方法を取るべきだと考えます。「大通り公園」はoodoorikooenです。

 

 最近、パスポート表記に限り、更なる表記上の英語化が進められました。母音の長音をHで表して良いとするものです。Ohdohrikohenとして良いということです。

 

 これは、支離滅裂ではないでしょうか。

 

 ちなみに、韓国語のローマ字表記法も英語式であり、相当に支離滅裂なものだと言わざるを得ません。

鍵か蟹かの鼻濁音

 ガ行鼻音、いわゆる鼻濁音が、本来あった方言で消失しつつあることはつとに有名です。

 

 このガ行鼻音は、声門閉鎖音と同じように、かつてはアナウンサーや歌手に対して、厳しく指導されていました。

 

 現在では、NHKにおいても、全国的な傾向に鑑みてか、ガ行鼻音のないアナウンサーも見られます。

 

 音声が一つなくなると、その方言の全体的な体系にも変化を生じざるを得ません。

 

 例えば、茨城県や栃木県を含む東北地方では、語頭や、複合語構成要素の単語の語頭を除くと、カ行とタ行は濁音になるという特徴がありました。そして、本来のガ行とダ行は、上記と同じ位置ではそれぞれ、ガ行鼻音[ŋ]と、鼻音を含むダ行[nd]とでした。つまり、ガ行鼻音なしで「いばらぎ」と聞こえたら、それは「いばらき」だったのです。

 

 それが、ガ行鼻音の消失により、[ibaraŋi]と[ibaragi]の違いがなくなりました。こうなると、理論的には、「いばらき」という場合は、「語中では濁る」という方言の特徴自体が変更されるか、反対に、濁った形で落ち着かせるしかありません。おそらく前者に変わったのだと思われますが、ガ行鼻音のなくなった世代からは、ある世代の「いばらき」の発音は「いばらぎ」としか聞こえないことでしょう。そうすると、茨城は一体「いばらぎ」なのか「いばらき」なのかという疑問も生じてくるでしょう。

 

 北海道で面白いことを知った機会がありました。中学生の生徒には鼻濁音がありません。彼らは、私が「鍵」と言ったのか「蟹」と言ったのか、区別をつけるのが難しいようでした。

 

 いつか、まだ世間で鼻濁音の消失が騒がれていたころ、テレビで、もともと鼻濁音のない地方の年配の方が、「鼻濁音よりドイツ語の発音のほうが楽だ」と言っていたのを記憶しています。しかし、ドイツ語には同じ音がれっきとして存在し、例えばEngel(天使)を[εŋel] と言わずに [εŋgel]と言ったら笑われます。

 

 鼻濁音の消失は、それが存在していた地域からすれば、比較的大きな現象だったと言えるでしょう。

 

Lの硬音~リトアニアの少年による厳しい指導

  20年近く前のこと、エスペラント関係の知人を訪ねにリトアニアへ行き、1週間ほど過ごしたことがあります。

 

 エスペラント体験についてはまたいつか書こうと思っています。今回はその過程でした貴重な体験をお話しします。

 

 私はリトアニア語は話せませんでしたが、ソシュールの影響もあって、興味を持っていました。そして、せめて発音は身に付けておこうと思ったのでした。

 

 知人は小学校の教員で、小さな村だったこともあり、生徒である男子が知人の家に訪ねてきました。彼はリトアニア語しか話せません。

 

 なお、当時は若者にも英語はほぼ通じず、外国語と言えばロシア語か、年配の人ならドイツ語もできるという具合でした。知人のお父上とはドイツ語で話ができましたが、お母上はロシア人で、ロシア語のできない私は知人の通訳に頼りました。

 

 小学生の彼に私がリトアニア語の発音を言って聞かせると、ほとんど合格したものの、Lだけには何度やっても合格が出ません。英語式の、もしくはドイツ語式のLでは、「イ」が入っていると言われます。いわゆる軟音のことです。

 

 例えばロシア語の子音には「硬音」と「軟音」があることを私は知っていました。そして、軟音と呼ばれるものには「イ」の響きが含まれることも承知していました。語族の違うリトアニア語にもその区別があったのです。

 

 しかし、英語のLが軟音だとは初耳でした。LAと発音した時のどこに「イ」が聞こえるのか、全く聴き取れもしなければ、理解もできませんでした。

 

 結局不合格のまま、私はリトアニアを去ることになりました(目的がそれでなかったから別に良いのですが)。

 

 さて、ドイツに帰った私は、かなりしつこく本を漁りました。と言っても、リトアニア語に関する一般書はごくわずかしかありません。

 

 ついに発見できたのが、この本でした。

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 ここには、英語でもおなじみの「口の断面図と舌の位置」があり、Lの項目の絵に目が留まりました。

 

 注意すべきは硬音だったのです。硬音は、舌端のやや裏面を前歯の裏に当てて発音します。こうすると、確かに少し違う音価が得られます。

 

 舌端の表面を前歯の裏に当てて発音すると、みなリトアニア人には軟音と聞こえます。口蓋音ではないのです。更にそれは日本語の「リャ」と同じ音だと聞かれます。

 

 日本のロシア語の説明にも、Lの硬音に関する説明は見たことがありません。もしかしたら、知らないのではないかとさえ疑われます。

 

 リトアニア語の硬音のLはロシア語でも硬音と聞かれます。

 

 さらに言うと、エスペラントで会話したリトアニア人には、英語のLは軟音だが、ポルトガル語のは硬音だと言っている人がいて、私にはさっぱり理解できませんでしたが、今なら分かります。

中国語の有気音・無気音と韓国語の平音・濃音・激音

 韓国語には、例えばpという破裂音に、平音・激音・濃音という三種類の別があります。

 中国語にも似た区別がありますが、中国語の有気音は韓国語の激音に、中国語の無気音は、韓国語の平音と濃音に該当します。

 

 これを耳から習得することは困難ですが、音声学的な知識を使うと楽に区別ができるようになります。

 

 よく、紙を口の前に持ってきて、「平音は紙が少し動く」「激音は紙が大きく動く」「濃音は紙がほとんど動かない」という説明が載っていることがあります。これでは区別ができません。

 

 より正しくは、「平音は子音と母音の間に息だけの時間(気音)を置かない」「激音は子音と母音の間に息だけの時間を積極的に置く」「濃音は、子音と母音の間に息だけの時間を置かず、更に子音に声門閉鎖を加える」です。

 

 声門閉鎖を意識する練習が必要になりますが、時間は大してかからないでしょう。

 

 中国語には、平音と濃音の区別がないので、これらを混ぜて使って構いません。

音声と音韻

 音声記号でも、正確な音声を表記できないと前回書きました。

 

 それはなぜかと言うと、出す音声は厳密には1回1回異なっているからです。その異なる音声を各言語ではグループ分けしているのですが、それを研究する学問が音韻論です。

 

 英語のRとLは別の音なのに、日本語では同じ音に聞き取られる、というのが良い例です。

 

 日本語と大変異なる音の分類をする言語として、有声音と無声音でなく、有気音と無気音に分けるものがあります。これは言語の系統に関係なく、例えばヨーロッパの言語では、英語やドイツ語と同系のアイスランド語がそうです。

 

 有声音と無声音に分ける言語と、有気音と無気音に分ける言語との話者が、互いの言語を学ぶのは容易ではありあません。片や、KとGは別、しかしKHはKに同じと聞き取るのに対し、他方では、K とGは同じ、しかしKとKHは異なると認識するからです。

 

 韓国語と中国語はそのような言語に入ります。その話者には「金閣寺」と「銀閣寺」の違いを認識することが困難です。反対に、日本語話者には、KとKHの違いが分かりません。

 

 困るのは、LとRもそうですが、音韻の違う言語の単語は、一旦正確に覚えたとしても、しばらくすれば頭の中で日本語の音韻に整理されて、違いが分からなくなってしまうことです。

 

 このような場合、音声学の知識を利用して、耳ではなく「舌の位置で」音を覚えると助けになります。